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四年間の意義

永井 郁

 

 今年も会社に新入社員が職場に配属された。新入社員教育の感想を聞くと眠たかったとか疲れたとか本音が聞こえてくる。朝から皆で大きな声を出して「ハイ」 「おはようございます」「すみませんでした」のオアシスの挨拶がくりかえし新入社員教育の期間続けられている。最近の会社は不思議なことを教育するところになってしまった。

 挨拶は人との交わりに必要な最低限のマナ―であることは誰も知っている、これが自然に出来る人が以外に少ない。本来は家庭や学校で毎日の生活を通じて、躾のなかから身に付くものである。

 礼儀や作法は両親、先生や先輩を敬い、兄弟、同輩や目下に対しておろそかにしないその気持ちが自然に人ふみ行うべき道で「礼に始まり礼の終わる」という言葉ではないだろうか。まさに柔道を通じて会得される有形無形の賜物は卒業し社会人になって、経験を重ねて確認をする。

 バブルが崩壊して日本の経済は長期に景気が低迷しており、企業は今その存続が問われ

ており生き残りの為にリストラが行われている。世間では就職氷河期と言われているが、何時の時代でも企業は一人でも良い人物人材を求めている。一芸に秀でている者は相当な努力をしている。努力の結果よりも」努力の過程が大切にされているのは色々な困難な局面に遭遇した際に発揮される能力に他ならない。 

 今年 計らずにも四年生の就職に係わり、四年生の希望に適えられるよう会社の紹介を諸先輩のお力添えとアドバイスをいただいた。紙面をお借りしてお礼申し上げます。二、三、の企業の方から「柔道部の学生は礼儀正しく元気で学生らしいところに好感をもった。」言われ、正直なところ少々安堵している。欲をいえば、もう少々学問を身に付けておれば鬼に金棒だろう。昨年だったか、新入生歓迎コンパの時、社会人になったばかりのOBと話をした時「先輩、会社というところは楽な所ですね。」よくよく聞き正してみると、学生時代は朝連で六時半に家を出て、学校、練習、アルバイトをして帰宅するのが夜十一時と言う状況であったとのこと。彼は体力的な事を言っているのだが、「鉄は熱いうちに打て」の諺のとおり、わずか四年間の努力をするしかないのか違いは社会に出てしばらくして実感する。若いOBの後ろ姿を見て痛切に感じる。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」といわれるとおり、柔道に打ち込み完全燃焼の青春まっただなかの皆さんにエールを送り筆を置く。

 

 

インター・ハイへの道程

光本 秀行

 

 「5 4 3 2 1」観客席からカウント・ダウンの声が、会場に響き渡った長い長い30秒が過ぎ、審判の「一本、それまで」の声、私は体が震え、熱いものが込み上げてきた。生徒達も喜びを、全身で表している。やったんだ。ついに優勝だ。・・・

 この場面は、平成5年6月5日、兵庫県高校総体柔道競技団体決勝戦、対戦相手は御影工業である。1対0のリードで迎えた大将戦、本校の巽(現・甲南大)が、国生を縦四方固で抑え込み、一本を取り、2対0で御影工業を敗り、15年ぶりに優勝を決めた瞬間である。この年のチームは、前年の新チーム結成以来、期待されてきたチームである。因みに平成4年8月、大体大主催全国高校選抜大会2位。11月西日本高校選抜大会2位と非公式な大会では好成績を収めてきたが、県内の公式戦では、11月の県高校新人大会、平成5年1月、全国高校選手権の予選である県高校選抜大会といずれも3位で、3位の壁を破ることができなかった。特に、気合を入れて望んだ県高校選抜大会では、戦勝進出確実といわれながら、準決勝で御影工業にまさかの敗退、なみだを飲んだ。またしても3位、何と3位の壁は厚いのかと、生徒共々落胆したものだっと。もうだめか、この程度なのか、どん底でもがく日が続いた。しかし、このチームは、へこたれず頑張った。それも明るく、激しく、そきて自分をもろに出して互いに激しくぶつかり合いながら。そのような雰囲気の中で、勿論実力はついてきた、そして一番大切な精神力が強くなってきた。その成果の片鱗が発揮されたのが3月に高松で行われた和旗高校大会である。並み居る競合を打ち破り見事初優勝。どん底から這い上がってきたチームは本当に強かった。そしてついに勝負のときはやってきた。6月4日、5日と、高砂総合体育館で行われる兵庫県高校総体柔道競技である。この学年にとって最後の全国大会へのチャンスである。本校チームの陣容は、先鋒・坂井啓泰(現・大阪経済大学)。次鋒・松田弘志(現・仏教大学)。中堅・進藤庄次(現・明治大学)。副将・高橋弘和(現・近畿大学)キャプテン。大将・巽由光(現・甲南大学)である。組み合わせは準決勝でさきの選抜大会の覇者・育英。これが必ず最大の難関である。過去一度も肝心な所では育英に勝っていない。そしてこの難敵を敗れば、御影工業と高砂の勝者と決勝となる。いよいよ大会当日となった。第1日順当にBEST32に残る。第2日、緊張から体の動きが悪い。準々決勝の赤穂戦、益々体の動きが悪い、楽勝しなければならないところ2対1の辛勝。こんな調子のまま準決勝の育英戦が始まった。先鋒・板井、勝負を焦り、返し技で自爆「有効」を先取される。そして焦りは絶頂となり、場外際での審判の「まて」の声を無視、十字固めを離さず「警告」。そして時間といなり優勢負け。次鋒・松田、中堅・進藤、両者必死に攻め挽回を謀ろうとするも、相手の防御が堅く、2人とも「引き分け」。1点先行されたまま副将戦となる。本校はエース・高橋の登場、相手は140キロの巨漢・村上。高橋は一本を取るべく攻めに攻める、村上は防御に防御。攻めない村上に「注意」が与えられる。しかし、残り4秒、一本がほしいところだ。ここで焦った村上、左の大外刈りに来たところ、高橋待ってましたとばかり、これを返して「一本」を取る。これで1対1ながら内容でリード。ついに大将戦、本校巽の登場、育英はエース・森本。後がない森本、何とかポイントを挙げるべく攻めてくる。試合巧者の巽、上手くこれを受け流し、対等の試合展開となる。しかし、後半戦、巽やや守勢となり「指導」を受ける。ここでもう1つ「指導」を受ければチームの負けが決定的となる。しかし、「何とかしのいでくれ」の期待通り、巽は踏んばり「引き分け」、1対1の内容勝ちとなり、この難敵を退ける。この瞬間、優勝したような気分になった。しかし、次だ、次が肝心なんだ。気合を入れる迄もなく、選手たちは自信満々、開き直っていた、やるしかないと言うような雰囲気だった。「和旗大会の決勝と同じや、一人一人が一番良い試合をしてこい」と言って送り出した。私としてはこれしか言うことはなかった。さあ、ついに男の勝負のとき、幕は切って落とされた。決勝の相手は、宿敵・御影工業である。1月の選抜大会で煮え湯を飲まされた相手である。先鋒・板井は危なげなく「引き分け」次鋒・松田も2年生ながら相手チームのエース・小山を、よく攻め優勢の内に「引き分け」。ついに0対0の間々副将戦を迎えることになった。本校はエース・高橋の登場。相手は仙台。格の違いを見せつけ、先ず払い腰で「有効」を先取。次にもう一度同じ技で「技有り」。そのまま優勢勝ちで一点先取。いよいよ、大将戦、本校・巽の登場。相手は国生。この相手は先の選抜大会の、先鋒戦で対戦、不覚にも巽が敗れ、本校が敗退する原因となった。そんな背景の中、試合は始まった。しかし、巽のこの1戦に賭ける意気込みは、凄まじく、気迫で相手を圧倒。最後は縦四方固で「一本」を取り、文句なしの勝利となる。この時の状況は冒頭に記した通りである。この優勝の瞬間、進藤は私に抱き着いてきた。そして、皆と握手して優勝を確かめ合った本当に嬉しい瞬間だった。涙があふれてきた。監督主任8年目の快挙だった。監督1年目は、総体BEST16からのスタートだった。何度、もう優勝は無理だと思ったことか。しかし、捨てずに頑張って良かった。人間、真面目にやれば必ず報われる。このことを、実践できた。そして、実感できた。頑張ってくれた選手諸君本当に良くやった。そして、選手を陰から支えてくれた部員諸君本当に有り難う。そして、後援会の方々(保護者の方々)の絶大なバック・アップもすばらしかった。どれ程力付けられたことか、本当に有り難うございました。又、この八年間、心から私及び柔道部を励まし、支え、協力して下さった方々、ついにやりました。有り難うございました。とにかく感謝、感謝、そして何よりの勝因は信じること、生徒を信じることそして生徒は監督を信じることだ。とにかく感謝と信頼の優勝だった。さあ、次は全国大会だ全国大会(インター・ハイ)は、その年の、8月8日、9日10日栃木宇都宮市で行われた。ここでも結果は、すばらしかった。選手たちは伸び伸び戦った。予選リーグ、青森北に2対0、大垣日大に2対1と勝ち、決勝トーナメントへ。決勝トーナメント1回戦、強豪九州学院、戦鋒・板井が相手エース牧野を破り、次鋒二年生の池田が見事な1本勝ち。中堅、副将が引き分け、大将・巽も抑えて1本取り3対0で圧勝。何と25年ぶりに準々決勝へ進出、世田谷学園と対戦することとなった。世田谷はこの大会優勝候補NO1で、先に行われた金鷲旗大会の覇者でもある。負けてもともとの開き直りが良かったのか、先鋒・板井が大内狩りにて「有効」優勢勝ち。次鋒・池田は安蒜と(有効)を取り合うも最後は1本負け。中堅・進藤も青木に体力負けにて抑え込まれ1本負け。副将・高橋は、高校生NO1の誉れ高い小島に一歩も引かず、逆に圧倒、相手の大内刈りを見事に返し「技有り)をとり、優勢勝ち。これでこの強豪相手に2対2となる。そして大将・巽の登場だが、相手の前田の体力、パワーの前に敗退、無念の1本負けとなる。しかし、九州学院を破ってのBEST8は、よく頑張った。報徳学園柔道部史上に輝かしい1ページを加えた。因みに、全国大会の成績は昭和32年の優勝、37年の3位、40年、44年、46年のBEST8についで4度目のBEST8となった。本当に頑張ればやれるんだ。この全国大会もすばらしい選手、及び部員諸君、その他ご声援いただいた後援会の方々(保護者の方々)もう1度心より感謝し、又、この過去の栄光に何時までもすがる事なく、今を大切にもう1つうえを常に目指し、真摯な態度、気持ちで日々努力をして行きます。そして、甲南で学んだ、心技共に正しい柔道の指導、普及に努めて参ります。今後とも宜しく御指導、ご鞭撻の程宜しく御願い申し上げます。

 

 

継続は力なり

塚本 久道

 時の経つのは、早いもので卒業してから、八月の月日が過ぎようとし、私も今年三十歳をむかえた。

 卒業間もない頃、正直言って「疲れた。柔道はもうええわ。」という気持ちだった。しかし、社会人になり仕事をして行く上で、様々な壁にぶち当たる。そんなとき、ふと柔道に打ち込んでいた頃を、思い出している自分がいることに気付いた。あのときの稽古、合宿はきつかった、あの時の試合は、よく頑張れたものだ。それに比べればこれぐらいと、自分を奮い立たせることができた。その時柔道と私の人生とは切っても切れない、結びつきがあると確信した。

 卒業して三年目の夏、国体予選に挑戦した。結果は二回戦で敗れたものの、試合を終えた気持ちは、最近にない清々しいものであった。

一昨年、昨年と伊集院君、東内君の呼びかけによって、青年大会に出場する機会に恵まれた。県代表になれば、講道館にいけるということで発奮したが、一昨年はもう一歩というところで、惜しくも県代表にはなれなかった。しかし、昨年は接戦をものにし、7年ぶりに講道館にいけることになった。社会人になってから、まさか講道館で柔道ができるとは思わなかった。学生時代とは、また違った感慨深いものが、胸に込み上げてきた。このような経験ができたことは、私にとって一生の思い出になるだろう。いや、思い出になるのには少し早いかもしれない。機会があればこれからも挑戦して行きたい。

 現在、私は伊丹柔道教室というところで、週に一度稽古をさせて頂いているが、西宮市に在住しているため、その気になればいくらでも柔道のできる環境にある。しかし、転勤などで関西を離れても、柔道を続けている仲間もいる。本当に頭の下がる思いだ。そのような中もの頑張る姿に、勇気が湧いてくるとともに、影ながら応援したい気持ちで一杯である。

 少し前に読んだ「生きるヒント」五木寛之著の中で、私達は、みんな前向きに生きていたいと思っている。しかし、現実には悩み、迷いながら生きている。鋼鉄のような強い意志、精神をもっている人も思い悩み眠れない夜もあるだろう。そんなとき、私は生きていく上で「何か」が必要なはずである。といったような内容があった。私の場合、そのなにかの一つが柔道なのかもしれない。柔道といっても、試合で好成績をおさめたり、昇段するといったことだけでなく、汗を思いっきりながしたあと、ビールを飲む、みんなと雑談をかわす。といった、ちょっとした喜びなのかも知れない。また、柔道がまだ私の知らないその「何か」を、見つけてくれそうな気がする。そのためにも、肩の力を抜き、無理をせず柔道をこれからも続けていこうと思う。

 

 

 

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