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「竹蜻蛉によせて」

喜多康之

今、平成19年元旦である。竹蜻蛉の原稿を書くに際して、机に向い自分の人生を振り返っている。なかなか良いものである。今まで人生を振り返った事など勿論無い。「無我夢中」といえば、聞こえが良いが、「行き当たりばったり」で43年間生きてきた。

 昨年は、「柔道」「家庭」「仕事」等に恵まれ、最高の1年であった。ありがたい限りである。数年前、身体を壊し、精神的にも不健康になり、仕事も家庭もうまくいかない時期があった。その苦しい時期も含めて、いや苦しい時があったお影というべきか、43年間の私の人生は大変充実していた。これは今までの事であり、今年以降どうなるか、全くわからない。分からないから(恐ろしいが)面白いのだと今考えた。たとえ、真っ黒な将来が来たとしても、避けることなど出来ない。その時の真実を真正面から受け入れ、仲良くお付き合いするしか無い。どんな状況でも、一生懸命に生きる自分でありたいと願うが、それもなってみなければ分からない。仮に人生最愛かつ最高のパートナー「妻」「子供」に耐まあ、今日は今年不幸が発生しない事を初詣でお願いしよう。

 さて、前置きはこの辺りにして斬新な教育専門誌として権威ある「竹蜻蛉」にふさわしい話をしなければならない。何か。学生の参考となる事は無いかとあれこれ考えたが・・・・しかし・・・・

 ありがたい事に私は現役の学生と一緒に稽古し、話す機会がOBの中でもかなり多い部類に入ると思う。いつも感じる事は、私の甲南学生時代に感じていた「夢」「希望」「挫折」「あきらめ」「固定概念」「不安」等々とほとんど全く同じ事を現在の学生も皆同じように感じ、時に真っ暗な空間で、もがきながら、「一生懸命生きている。」という事である。「今の若い者は・・・・」は永遠普遍の逃げ言葉で、実際は全く変わってない。私は1987年に「夢」と「希望」「不安」に満ちて会社に入社したが、その時私達は「新人類」と呼ばれた。その私もリストラ世代?となった。「窓際には窓際の大切な役割がある。住宅には窓際があり、窓際があり、床下・倉庫・トイレ等があり、華やかな食卓、ベッドがある。全てが100%機能して始めて、強い美しい住宅になる。」と全く自分でも意味不明な事を若者に真剣に語り、若者にはうっとうしがられている。分かっちゃいるが止められない。困ったものである。またまた脱線してしまった。話を元に戻そう。私達ほんの数年前に、同じ路を歩んだ者は、その経験・感じた事を若者に話し、伝えねばならないと思う。それは多くのパワー(先輩、先祖、宇宙、自然等々)により、人生を数年多く生きさせていただいている者の逃げる事のできない義務であると考える。私は今年、出来るだけ多くの現役と触れ、「体験」、「感じた事」を発信していこうと考えている。

 実は昨年までも同じ思いで、発信し若者に「無条件に与えよう」と思い、語り続けてきたが結果は私の思いとかなり違うものとなったのではないかと危惧している。私は、若者のほとばしるうらやましい限りの無限の「エネルギー」に触れ、その大部分を吸収し、ますます元気になって来るのである。一方、若者は「やかましい先輩」に一方的に聞かされ、耐え「忍耐力」だけが養われ、ただひたすら疲れだけが残るのではなかろうか?

 というのは、大学の練習から帰ってくる度に、最も冷静な判断をし、的確なアドバイスをくれる子供達から毎回いわれる。「大学の人、かわいそう。お父さん、また語ってたんやろうな。」

 心の中で「その通り、反省」と言いつつ、口からは意に反し「やかましい。皆、大いに参考なったと、ありがたがっておったわい。」と発している。

 今年は真摯に反省し、@「大いに語る権利(義務)」A「大いに聴く義務」B「大いに行動する権利」を「誰にも侵すことのできない喜多家の基本的3権」と決めた。家族の反対もあっても、無視されてもこの3権は行き続ける。なぜなら、怖くて発表できず、この紙面だけのものだからである。きれぐれも家族には内緒にするように。

 結論、「自分の為」「家族の為」「子孫の為」「人類の為」「自然の為」「宇宙の為」・・・・大いに日々、「聴き合い続ける」「語り合い続ける」「行動し続ける」ようにしたいと思う。

 今年は、どこまで強くなるか楽しみである。喜多 康之が、甲南大学柔道部が・・・家内が。

 

「竹蜻蛉によせて」

阿知波 孝明

 早いもので、私が甲南大学を卒業して7年がたちます。今、この原稿を書きながらも、甲南大学柔道部には大変お世話になっているなと改めて感じております。アメリカ留学しているときも、甲南大学ロサンゼルスOB会に柔道部主将という事で参加させて頂く事ができ、素晴らしい方々との出会いがありました。また、日本に戻ってきても諸先輩方から、何かとお誘いの声をかけていただき、大変ありがたい気持ちで一杯です。

 今回の竹蜻蛉の原稿を依頼され、私ごときが諸先輩をはじめ皆様にお伝えできるような事はないとは思うのですが、あまり謙遜するあまりに寄稿を断るのも申し訳ないと思い、受けさせていただく事に致しました。

 昨年の春、私はある講演会に参加しましたので、その御話をさせていただきたく思います。

 昨年春に、日経新聞に稲盛和夫氏(京レラ名誉会長)と五木寛之氏(作家)の講演会が京都にてあるという記事を目にし、知り合いを通じて参加する機会を得る事ができました。その講演会の題名が「何の為に生きるか」というものでした。私はこの稲盛和夫氏を大変尊敬しておりまして、書物を通してしか面識がないため、一度是非、遠目からでもお目にかかりたいという思いがすごくありました。この稲盛和夫氏というのは、松下幸之助(松下電器)盛田照夫(Sony)本田宗一郎(Honda)などと並び、経営者の中では神様的存在の方です。何がすごいかというと、もちろん会社経営のノウハウも素晴らしいですが、人格者として素晴らしい為これほど尊敬を集めているのだと思います。

 この稲森氏の言うところ、「何のためにいきるか」。それは心を高める事。心を美しくするためだと説かれました。始めは私も何を言っているかと戸惑いを感じましたが、話を聞くうちに心から感銘を受けました。人間生まれた地点で、すべてが不平等です。貧しい家庭で生まれる人もいれば、一生食うに困らない裕福な家庭もある。頭がいい人もいれば、身体能力にすぐれた人もいる。背の高い人もいれば、背の低い人もいる。皆、生まれた地点で違う。そして、これらの才能は自分で決して選ぶ事はできないのです。誰も自分の生まれる家庭、能力を選びながら生まれる事はできないのです。

 稲森氏曰く、人間生きるうえで大切なことは、お金持ちになることでも、一流スポーツ選手になる事でもないと。要はどれだけ生まれた時よりも、心を成長できるか。生まれたときの家庭や能力など関係なく、生きている間にどれだけ立派な人格になるかという事です。稲森氏の言う人格というのは難しい事ではなく、「誠実」「感謝」「おもいやり」「博愛」「利他の心」など幼稚園で習った事をしっかりと追求すればよいという事です。そして、「良き事を思い、良き事を行う」。これをすれば心は向上しますと。人間は弱いもので、辛い目にあえばすぐに悪いことを思い、よくない行動をとる。不運が重なると、どうして自分だけがと他人を悪く思ってしまい、世をすねてします。これではダメなんですと。いかなるときでも、良い事を思い、良い行動をとりなさい。そうすればよい性格となり、よい性格になれば人生が良い方向へとかわると。

 講演後、私が会場を出ようとすると、たまたま稲森氏が前を通りました。その威厳がありながらも穏やかな表情。そして私ごときに頭を下げて前を通る謙虚な姿勢。人間とはこうあるべきだと思いました。

 柔道においても、強くなることはもちろん大事です。勝負の世界に身を置く以上は強くなり、勝つことが大事です。しかしいくら強くなろうとも、勝ちに執着するあまり人間性が病んでしまっては意味がないのではないでしょうが。また仕事においても利益を追求するあまり、不正に手を染めてしまっては意味がないのではないのでしょうか。「心を高める。心を美しくする」。つまり、日々、一生懸命努力することにより、柔道なり仕事なりを通して人間性を向上させる事、心を高める事が大切なのではないでしょうが。

 断っておきますが、私自身はまだまだそれの境地の3合目も到達できてないと思います。やはり災難、困難、またただの不運に見舞われただけでも、どうしてと不満や愚痴、また良くない思いを抱く時があります。その度、この稲森氏の言葉を思い出し、心を向上させる為に、まわりの人が幸せになれるように自分自身を精進させる為に、今の苦労があるのだと言い聞かせております。

 私が稲森和夫氏より頂いたこの考えがすこしでも皆様の参考になれば幸いです。

 

 

「転機」

                                  山下 明善

 この度、北本主将の依頼を受け、竹蜻蛉の原稿を書かせていただくことになりました。

 大学を卒業して6年あまりが過ぎました。私は現在も現役選手として実業団で柔道を続けています。卒業し、柔道から離れざるえない状況になる方が多いと思いますが、今も一線で柔道ができる状況は本当に幸せで、残りの現役生活を精一杯頑張る所存です。

 さて、今回執筆の依頼を引き受けてみたものの何を書こうか悩みました。学生時代に関西体重別で3位になった武勇伝は、前回の竹蜻蛉で1つ下の後輩・小島(平成14年卒)に触れてもらったので。次回のネタに取っておこうと思います。悩んだ挙句、私個人として現役生活が残り少ない現状をふまえ、私の柔道人生における「転機」について書かせていただきます。

 〜転機(試合編)〜

 柔道を長年続けて、今まで色々な試合を経験してきました。絶対に勝たなければいけない試合、自分が負ければチームが負けてしまう等々、色々な場面があります。その中でも自分にとって柔道人生のターニングポイントの試合が2つあります。

 それは平成八年の兵庫高校総体個人95キロ超級決勝戦と平成十一年関西体重別選手権95キロ超級3回戦の2つです。

 まず前者の兵庫県総体についてですが、私が高校3年生(兵庫・報徳学園)の時です。試合の相手は、育英高校の須磨谷選手で、中学時代は兵庫県で優勝したこともあり、県大会1回戦負けばかりの私にとって雲の上の存在でした。そんな私が報徳学園で光本先生の指導を受けて、対戦できる舞台に上がる事ができました。一方須磨谷選手の高校2年生の冬に膝を怪我し、春の全国の予選には出場せず、夏の総体に賭けていたと思います。

 須磨谷選手が出場しなかった春の予選を制し全国に出場した私としても兵庫県95キロ超級でどっちが一番強いか決める決意でした。

 試合は、前半一方的に須磨谷選手に攻め込まれ、誰が見ても劣勢でしたが、今までの練習、自分の力を信じて諦めない自分がそこに居ました。試合時間残り1分、私の右足払いで須磨谷選手が大きく崩れ、効果相当の印象をえました。その一発で流れが変わり、私が最後まで攻め抜いて試合終了、判定で私が勝ちを収めました。今後振り返ってもあそこまで自分の力を出し切った試合は記憶になく、試合後は脱力感でいっぱいだったことを覚えております。

 この試合で努力すれば強くなれること・目標を達成できることが身をもって体験でき、大学・社会人と柔道を続けるキッカケになったと思います。

 次に後者の関西体重別についてですが、私が大学3回生の時です。当時、私の中で野望がありました。大学3回生で正力杯(全国体重別選手権)に初出場し、4回生で正力杯で入賞することです。

 当時は本気で考えており、絶対に実現できると思っておりました。その第一歩として、3回生で出場する関西体重別選手権でなんとしてもベスト8に入り、正力杯の出場切符を手に入れる必要がありました。

 試合は初戦シードで、2回戦近畿大学の選手に判定勝ち。3回戦、これに勝てばベスト8で正力杯に出場できます。相手は京都産業大学の逸見選手、同い年で関西でも名がとおっている選手でした。試合が始まり、前半は私が一方的に攻め、完全に優位たっていましたが、残り2分逸見選手の右に組んでからの左の捨て身小内に私の体が宙に舞いました。

 結果は一本負け。

 私に勝った逸見選手はその後も勝ち進み、決勝では敗退するも堂々の準優勝という結果。この敗戦は本当にショックで試合後数日間は何もする気が起きない自分がいました。

 ただ、この敗戦により逸見選手を倒すという新たな目標ができ、より一層練習するキッカケになりました。あの頃は本当によく練習したと思います。兵庫県警での練習や筑波大への合宿をこなし、毎日柔道でお腹いっぱいでした。あの敗戦により柔道に取り組む姿勢がより一層深まったと思いますし、自分の柔道を見つめなおす機会にもなりました。

 ちなみに逸見選手には、関西体重別団体準決勝で京都産業大学大戦時に大将戦で対戦。

 小外刈り一本で雪辱し、努力が報われた感動を味わいました。

 〜転機(東レ編)〜

 平成13年に現在勤めている東レ(株)に入社しましたが、入社のキッカケを与えていただいた方がいました。報徳学園の大先輩でもある向尾知基氏(同志社卒)です。向尾先輩は柔道採用入社の対象者として、樽谷先輩(平成7年卒)を通じて私に声をかけていただき、東レの道場へ伺った際には熱心に会社のこと、東レ柔道部の魅力について話をしていただきました。その話を聞いて、東レを希望し、入社することができました。

 この向尾先輩からのお誘いも私にとって「転機」でしたが、私の中で向尾先輩に関わる大きな「転機」が他にあります。

 東レに入社し、半年近くが過ぎた頃でした。私は向尾先輩と同じ職場であり、入社1年目の私を気遣ってか向尾先輩にはよく声をかけてもらっていました。その日もいつもの調子で声をかけてもらい、たわいない話で笑って後、真剣な表情で「山下、俺、警察の試験で合格してん。東レは今年度末で辞めようと思ってる。」

 衝撃の一言!!高校の大先輩で、向尾先輩は目標であり、会社生活で精神的に頼っている部分が自分の中にありました。その先輩が会社を辞める。しかも警察に進み、柔道を続けるということは柔道的にも県内では敵になるということになります。東レ柔道部としても向尾先輩は大戦力でもあり、団体戦を戦うには厳しくなります。ただ向尾先輩の人生ですし、意思は尊重すべきこと。向尾先輩が抜けたあとをどうするかが私にとって、チームにとって課題でした。この出来事は私にとって、東レ柔道部での自分の立場を強く自覚する、私を精神的に大きく成長させるキッカケにもなりましたし、チームとしても1つにまとまるキッカケにもなりました。これを機に東レ柔道部は、平成十四年・十六年・十八年全日本実業団団体3位に輝き、1部の舞台に立てるチームに成長しました。

 以前「近代柔道」にも書かれた内容ですが、東レの特色はチームワークの良さです。この転機がチームワークを深めたといっても過言はないと思います。

 

 長々と乱筆にしょうもない話を書き、恐縮ですが、私に柔道人生の節目が近いことをふまえて書かせていただきました。これ以外にも転機は多数あり、特に「人との出会い」は大きな影響を私に与えていただきました。その出会いには山崎先生、光本先生、その他にここでは挙げ切れませんが甲南大学柔道部の諸先輩方、後輩達との出会いがあり、私に成長するキッカケを与えていただいたことは大変感謝しております。

 転機というのは、その物事を自分としてどうとらえるか、そしてどのように実行するかが大事であり、誰でもその機会は幾多にあると思います。今の学生にも私との出会いや私と稽古することが大きな転機になれば良いかなと思う今日この頃です。

 最後に甲南大学柔道部が今後益々発展して、関西、全国で上位進出できる日を祈念し、筆を置きたいと思います。がんばれ 甲南大学柔道部!!

 

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