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「学生時代の思い出」

昭和五十七年卒  福田康次

早いもので大学を卒業して今年で十七年になります。現在大阪府警の柔道教師として警察官に柔道を指導する傍ら、自らも柔道の修行に励んでいます。

私は昭和五十三年に入学しましたが当時の道場は大学から徒歩十分位で住吉川の近くにあり、剣道場と隣接していました。そして昭和五十五年の秋、私が主将になったのとほぼ同時に、道場は南グランドに移転しました。そのときに、部員全員でロッカーやバーベル等を運んだのが懐かしく思い出されます。

現在は六甲アイランドに立派な道場とトレーニングルームが完成し、学生は練習に励んでいるわけですが、私が現役の時に練習した二つの道場がいずれも今なくなっているのは少し淋しい気がします。

入学当時は、後藤素直先生、植村三郎先生がまだお元気で時々道場に来られ、我々学生を指導してくださいました。

後藤素直先生は東京高等師範学校で柔道の創設者である嘉納治五郎に直接教えを受け、嘉納治五郎の直々の推薦で甲南学園に赴任されたそうです。その後藤素直先生に私が二回生の時、演舞祭での「投の形」の練習で先生に直接指導していただいたことは、大変光栄な思いです。

植村三郎先生は東京高等師範学校を卒業された後、約三十年間甲南大学柔道部の指導にあたられました。私が最後に先生に接したのは2回生の時の昭和五十四年十一月の兵庫県学生体重別大会の試合会場でのことでした。その時は、先生がご病気だとは知らず、お亡くなりになったとの悲報を聞いたときは、あの頑丈そうで強そうな先生がと最初は信じられない思いでした。もっと私達を指導、叱咤激励して頂けるものと信じていたので非常に残念です。

さて現在の山崎俊輔先生は、私が四回生の時に赴任され、学生の指導はもちろん、先生自身も現役選手として全日本選手権を目指して活躍されていました。

山崎先生には、本当に良く稽古をつけてもらい、私達にない柔道の豊富な知識、技の教えを受けたうえ、稽古が終ると今度は、居酒屋等でよく私達におごってくださいました。

甲南大学柔道部のここ数年の活躍は目覚ましく毎年のように全日本学生優勝大会に出場し、個人でも全日本学生体重別大会に毎年数名出場しており、OBの一人として大変頼もしく思います。

昨年は念願の関西大会ベスト8進出を果たしましたが、今後はさらにその上のベスト4を目指して山崎俊輔先生のもと学生が精進努力すれば必ず達成できるものと確信しています。

最後に学生達にとって、悔いのない4年間であることを心から願っています。

 

 

「現役柔道家」

昭和六十二年卒  喜多康之

ここ二、三年柔道に取り組む時間がめっきり減ってしまった。

今では一年間に数えるほどしか柔道着を着ることがなくなってしまったが、私は自分を今も、そしてこれからも現役の柔道家であると思っている。柔道はプロスポーツではなく、アマチュアスポーツであり、勝つ事が求められるプロとは違い、それ以外のことを追求するものだと考えているからだ。学生時代はやはり私も全ての事を犠牲にしてでも「勝つこと」を追い求めるのが理想だと思っていた。しかし今では、それは柔道のごく一面でしかないと思うようになってきた。そのほかの面というのは、非常に幅が広く、また奥の深いところもあり、人それぞれ違うものであろうと思う。

現役柔道家としての私は仕事、柔道、家庭等、様々な、したい事、しなければならない事の中で、今最も大切な事は何かと優先順位を考え、精一杯、本気でそれに取り組んでいるつもりだ。

悩んだり、困ったりする事がよくあるがその時は常に試合場の中にいる自分の姿を想定し、どうするのを考え自分をごまかさずに、自分としての答えを出すようにしている。その答えは、柔道の「勝敗」のように明確に出るわけではなく、その時の立場、状況によって変わるが自分で自分の判断に責任と自信を持ち満足しようと心がけている。

私が学生時代の終わるまでの十年間で学んだ事の二倍も三倍も多くの事をその後の十年間で学んだ。三十年続ければおそらく十倍もの事を教えてくれるであろうと思う。四十年、五十年・・・・・・!楽しみである。

このように常に真剣に取り組む「柔道」というものに出会った私は本当に幸せであると感謝すると同時に「現役柔道家」としての責任を強く感じる。柔道に接する機会を得た人(たとえ見るだけでも)の一人でも多くが現役柔道家でいて欲しいと思う。生活の大半を柔道に費やし、まさしく今柔道中心の生活をしている学生の方々も、柔道を続けていれば、いずれは自分の望むだけ稽古ができるという状況ではなくなる。しかしいつまでも胸をはって堂々と「現役」でいて欲しいと願う。

 

 

「影響力」

平成七年卒  稗方千絵

就職五年目もそろそろ終わりを迎えようとしている。私が中学時代から夢見ていた職業『教師』になって、この五年の間に、もうすでに約千人(四学年)の生徒の「中学時代の先生」の一員として働いてきている。今、この作文を書く上で冷静に考えてみて驚いている。

自分の中学時代を振り返れば、将来の夢とはいえ、教師になれたとしても、まさか「柔道部の顧問」として生徒と向き合うなんて予想もしていなかった。しかし私が柔道を高校から始め、自分の趣味程度でしていたスポーツが、自分自身の人生を変えてきているかもしれないと気づき始めたのは大学二回生の後半頃だったと思う。その頃、私は教員採用試験に合格するための勉強に少しずつ取り組み始めることができた。今は柔道に出会えてなかったらどんな人生だっただろうと考えると、自分の夢を実現できていなかったのかもと思えるぐらいである。それだけ柔道は私の人生に影響を与えてくれた。もちろん、柔道というスポーツを自分がしているから「今」があるのではない。柔道を通して多くの人と出会い、そして教師という職業に就いてから出会った人からいろいろな考え方や姿勢を学び、またその人が持つ影響力を感じたり、見たりすることで私の中でどんどん新しい目標ができ、「今」があるのだと思う。

木村光雄先生(現・本山南中学校教頭)

私が学生の頃は御影中学校におられ、私が教員採用試験を受けることで、いろいろなアドバイスをしていただいた。またそれに合格し、実際にこの職業に就いてからも、いつも温かい励ましの言葉をいただき、そしてチャンスもたくさん与えてくれた。そのチャンスの一つは試合の審判である。最初、自分は審判はできない、記録のお手伝いで十分と思っていたが、二年目ぐらいから区大会・県大会でも他に審判をうまくされる方がいるのにも関わらず、審判をさせていただいている。男性職員が多い中、今もまだ女性一人しかいない県の審判員として、恥ずかしくないように役割を果たしたいと思う。私の中で女性審判員は頼りないというイメージがあり、失敗したときに責められることを恐れていたが、木村先生だけでなく他の先生方もいつもアドバイスをしてくださり、だんだん自信を持って審判ができるようになった。また近畿・全国の審判として声をかけていただいたこともあり、私はまだまだそこまでの力はないが、声をかけていただいたことにとても感謝している。

初任校(塩屋中)で出会った先生方

私が働いて一年目は柔道部はなく、陸上部の顧問として丹野薫先生(現・塩屋中)から、たった一年だけだったが、多くの事を教えていただいた。違うスポーツの顧問となることは不安だったが、今まで学んできたことや感じたことを生徒に教えてくれたらいいとおっしゃっていただき、自分を少しずつ出すことができた。そして丹野先生が生徒を県・全国大会に連れていくまでの指導法を近くで見せていただいたことも私にとって貴重な時間でした。そして丹野先生との出会いを通してさらに陸上界の先生方と出会い、今も励ましの言葉をいただけることに感謝している。

次に、塩屋二年目に出会った小平直樹先生(現・長田中)にも多くのことを教えていただいた。小平先生と出会い、塩屋中に柔道部を創るきっかけとなった。小平先生ともたった二年間だったが、今、私が玉津中学校で柔道部顧問として、生徒に教えているときに参考にさせていただいていることは多い。小平先生に教わった「勝つことの厳しさ」、「自分への厳しさ」、「研究心」、「工夫」などは、柔道の指導に限らず、忘れずに持っていたいものである。また、丹野先生にしても小平先生にしてもいつも私に優しくアドバイスしてくださるだけでなく、厳しい言葉、態度、で接してくださったときもあった。そのときは生意気に納得できない返事、顔をしたこともあったが、その厳しさが今になってわかり、前よりも強い自分、それに負けたくないという意地を張る自分が生まれたように思う。またその先生方に教えてもらっている生徒の目はその先生方の影響力を受けた目であったことを私は感じた。そして私もその影響力を受けた一人であった。この二人の先生以外にも私はたくさんの先生方に励まされ新たな目標を持って今の玉津中へ転任することができた。

二校目(玉津中学校)で出会った先生方

今度は伝統ある学校、輝かしい記録がたくさん残された柔道部がある学校へと転任することが決まり、教師として、柔道部顧問としてさらに磨きをかけようという思いができた。ここでは高井滋先生と出会い一緒に柔道部顧問となった。前任校の小平先生もそして今の高井先生も天理大学柔道部出身で自分の柔道に自信をもっておられ、それぞれのカラーがある。二人が同じ職場で柔道部顧問として出会うことはめったにないと思うが、私は二人の先生と一緒に柔道部を見せていただける機会に恵まれ、学生時代にはわからなかったことまでもが吸収できる環境に、ありがたさを感じている。また玉津中学校の職員はどの一人をとっても温かく、また団体としても常に団結し、すばらしい職場であると思う。生徒と向き合ってつらいことやしんどいことがあっても職員の温かさと団結力で支えられている。そのすばらしさが生徒にも必ず伝わると信じたいものである。

前に名前をあげさせていただいた先生方以外にも多くの人都の出会いからたくさんの影響を受けてきました。また私は生徒との出会いも忘れたくないことがたくさんある。

今年の中学三年生の特に女子部員には、私が初めて柔道を通じていろいろなことを教えてきたつもりである。少なくとも「私」という影響を受けてくれていることがわかったときは、私はこの職業に就けてくれていることがわかったときは、私はこの職業に就けて大きな喜びとやりがいを感じることができた。これからもたくさんの生徒と出会えるが、私という人間と心と身体でぶつかることができる生徒たちを大切に思いたい。

最後に、先日十一月に山崎先生の昇進を祝う会に出席させていただいたときに感じたことを書いて締めくくりたいと思う。会にあれだけ多くのOBが集まり、あの雰囲気…。これぞ山崎先生の影響力と感じた。そこまでには及ばないが、山崎先生からも多くのことを学び、吸収したことを自分のものとし、私が持つ影響力を少しずつ大きくしていきたいと思う。

 

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